クスコの行事

朝起きると寝違えたのか首が痛い。 「それは、首絞め強盗怖さに振り返りすぎによるものだ。」 と夫が言うのに納得。 南米ではとても用心してすごしています。 首が痛い痛いとごろごろと昼までホテルで過ごして、 それでもマチュピチュ以外にクスコ近郊のツアーを 調べてみようという話になり、外に出ると雨。 かさと上着を取りにもどってまたアルマス広場 の方へ向かうとまたなにやら様子がおかしい。 警察が並んでいる。 広場に面したお店の2階からは垂れ幕のようなものが。 また何かある! と思って待っていると、アルマス広場に面した 教会からイエス様の像が担がれて出てきた。 物悲しい音楽に乗せて。 赤い花びらのようなものが投げかけられ血のようで、 見ていて悲しくなった。 これがイースターなのかな? と思いながら、食事をしたり、 旅行代理店をはしごしているともう夕方。 帰ろうか、もう一件旅行代理店にいくかと迷っていると またなにやらアルマス広場で始まる様子。 ちょっと見て行こう。と眺めの良い場所を陣取って 待つこと2時間!!! アルマス広場に人は増えに増え。ぎゅうぎゅう。 どうやら昼間のイエス様が戻ってくるようで、 こちらの方がメインイベントのようで、 おっそろしい人だかり。 夜になって戻ってきたイエス様。 担ぐ人も大変そう。 警察の交通整理もむなしく。 人が押し寄せる。 皆イエス様の後を追います。 遠くに見えたイエス様が通り過ぎ、教会の入り口に くると、みんなが十字を切り、手のひらを教会に向け、 イエス様を見送ります。(これに1時間) イエス様が完全に教会に入ると、拍手がおき、 次の瞬間に帰宅ラッシュが始まります。 こちらの人は撤収が早い。 帰宅ラッシュの波をさけて待つこと1時間。 あたりは真っ暗。 後日、旅行代理店の人に「聖なる月曜日」という 行事だったと分かりました。

クスコのお祭り

翌日クスコの街を歩き始めるとにぎやかに太鼓の音が。 民族衣装を着た人たちが行進している。 なんだろね。 といいながら写真を撮って、アルマス広場の方に 向かうと、どうやらこちらの方がメイン会場らしく、 さまざまな民族衣装を着た人たちがグループごとに ダンスを披露している。 ちょうど日本のヨサコイみたいなやつかな。 クスコの空は近く青く、山は緑、屋根は赤茶。 民族衣装は色鮮やかで華やかで、ヒラヒラと舞い。 時間を忘れました。連射モード大活躍です。

クスコ到着

アレキパからクスコのホテルの予約をしようとしたが、 電話が繋がらずノープランで早朝にクスコについた。 バスターミナルとはいえない空き地にバスが止まり、 とほほ。 と思っていたら客引きが来て、20ドルのホテルを すすめられた。見ると、まあ大丈夫そうな感じの ホテルで、泊まる予定だったところの半額。 客引きだけど、バス会社の社員証を胸につけて いたので、なんとなく安心。でもこれが罠? と思いながらもついていくことにした。 荷物をおいてチェックインしようとしたら、 旅行代理店の人が待ち構えていて、 マチュピチュツアーの話になって、 臨戦態勢じゃないのに、営業が始まってしまった。 話をきくと、4/1にマチュピチュが再開といっても ペルーレイルは一部だけしか運行しておらず、 (82km地点からアグアス・カリエンテスまで。) 4/1のは売り切れ。4/2しか取れない。 ビスタドームのクラスしか運行していないとのこと。 時期が時期だし、下手に自分で動いて勘違いで マチュピチュに入れないとかいうことになったら 悲しいなと思い、全部手配をお願いすることにしました。

アレキパで温泉と観光

朝アレキパについて、大きな荷物を預けて、 コレクティーボと呼ばれるミニバスに乗って 温泉のあるユーラに向かった。 1時間くらいで1.5ソル。 50円位か。安い! リマでは空港から市内までタクシーで50ソル だったのに。 ユーラのバスターミナルは小さな公園で、 あたりには削られて、禿げ上がった山しかなかった。 なにっ。 と思ったけど、公園に面した建物に入って、 「バーニョ?(温泉)」 といってみた。 ツーリストインフォメーションなんてないのだ。 温泉とトイレはどちらもバーニョというので、 何人かは、トイレをすすめてくれたが、 それでもなんとなく、トイレ以外のどこかを 指してくれた人の指す方向へ進むこと20分。 「バーニョ?」 と聞いてみると、 「ここ。」 と招いてくれて、一通り設備の説明を してくれた。といってもあるのはトイレと 脱衣所と、シャワーとお風呂だけだけど。 3m四方のお風呂が2つ。 温度はぬるい。 深さは120cm。 色は黄土色。 ぶくぶくと泡が底から出ている。 シャワーは水。 水着着用のこと。 小一時間はいってみても体は冷える一方。 シャワーも水だし、鳥肌も立ってきたので ちょっぱやで着替えた。 外は快晴であったかいのでいいんだ。 さっぱりしました。 またすぐアレキパ行きのバスにのってもどり、 ご飯を食べた。 そういえば、南米はどの都市も、広場が中心にあり、 たいてい名前は「アルマス広場」。不思議。 そのあと、1970年頃まで運営されていた サンタ・カタリナ修道院に行きました。 セルと呼ばれる修道士の部屋は、ベッドルームと、キッチン と、もう一部屋で構成されており、1人1セル与えられたの だとしたらそうとう贅沢なつくりだなと思いました。 立って半畳、寝て一畳とはいわないけど、 イタリアのローマで修道院が改装されたホテルに 泊まったことがあるけれど、それはとても小さく、 機能的なつくりだったので、そんな感じかなと思った んです。家具などは少なく、質素な感じでした。 またこのセルがありの巣のように広がっており、 不思議な修道院でした。

リマ到着

リマについたら、蒸し暑くてがっかり! 南米の夏は蒸さないと思っていたけど、 じめっとじめっと気力を奪われた。 すぐにクスコに移動して、マチュピチュへ いけるかどうか調べてからペルー内の 観光を考えることにしていたので、 空港からバス会社へ向かった。 ペルーはバスターミナルに各バス会社が集まる のではなく、各バス会社が自分のバスターミナル を持つという形なので、ちょっとめんどくさい。 一番いいといわれるオルメーニョにまず行った。 地球の歩き方に午後便が書いてあったので余裕 で行ったら、朝の便しかないので、明日しかないよ といわれて、困ってしまった。 幸い別のバス会社が近くにあったのでそこに 移動してみたら、1席しかないというので、 またまた困ってしまった。 リマはじめっとしてるので、これ以上滞在したくない。 という思いで、「別の都市に移動しよう。」 と提案してみたら、夫が「アレキパとか?」 とナイスアシスト。 サンティアゴで出会った人がアレキパは標高2300m 位だから高山病になりかかったら一度おりてくると いいよと教えてくれたところだ。 アレキパ経由でクスコに行けば、徐々に標高を上げる から、体に良いはず。 という成り行きでリマ→アレキパ。アレキパ→クスコ。 というバスチケットを手配した。 どちらも夜行バスのため、0泊3日でクスコに向かうこと になる。リマで一度じめっとしてしまったので、 お風呂入りたいなと思っていたら、運よく アレキパの近郊に温泉があるということで、 そこに行くことにした。 順調順調。

イースター島。アフ・トンガリキで朝日が昇るのを待つ

最近のイースター島は朝は雨で、 昼に向かって晴れてくる。 車を24時間レンタルする場合、昼から翌日昼まで 借り、1日目は観光、2日目は朝、日の出を見てから 返すのがいいらしい。 最近の朝の天候が悪いので日の出は見れないかも しれないなぁ。と思っていたら。はやり、早朝に 激しい雨が打ち付ける音で目が覚めた。 ベッドから這い出してリビングに向かうと 私が一番最初に起きてた。すごい。 みんなが揃ったところで、また雨が。 でもすぐやむ。 とりあえず行くだけ行こうと。日が昇る東海岸沿い。 アフ・トンガリキへ。 途中雨はやんだり、激しくなったり、雨が強くて 前が見えず車をとめたりしながらたどり着くと 日の出の時間になった。 先客が何人かいて、朝日を待っていたが、すぐに 雨が降り出し、強くなった。 カッパを持っていたので、かぶって、そのまま待つ。 先客はいつの間にか帰っていました。 アフ・トンガリキの前に倒れるモアイで風をよけながら 待っていると、ナショナルジオグラフィックに写真を のせてるような写真家がシャッターチャンスを待つのって こんな感じじゃないのかって想像して燃えてきました。 しかし雲の隠れて朝日はみえず、ほんのり赤らむ 空しか撮れずに宿に戻りました。 宿に戻り朝ごはんを食べて、こうださんは 今日からキャンピング・ミヒノアに移動するというので 送っていって、またミヒノアの日本人バックパッカーを レンタカー屋さんに送っていった。 夫はほんとうに親切だなぁ~。 その後はイースター島博物館へ。 スペイン語のパネルにあわせて、日本語訳のファイルが 手渡されて、照らし合わせながら読み進めることができて 分かりやすかった。 車を戻した後は、近くの10mほどの砂浜があるビーチに 泳ぎにいきました。ダイビング用にシュノーケルセット を持って行って、見てみると、浅瀬にも食用よりむしろ 観賞用のきれいな色の魚が泳いでいて、思ったより よく見えるなーと思っていたら目の前を海がめが 横切ってテンションが上がりました。 乗れるくらいの大きな海がめ。 何度か水面に顔を出したので、追いかけたのですが それきり出会えませんでした。 息つぎのために顔をだす海がめちゃん。 急に曇りだしたと思ったらすごい風と雨がふってきて そのとき浜辺に私はいて、夫だけ沖に出ていて、 ぎゃーとなりましたが、無事に帰ってきてくれて ほっとしました。 戻ってきた夫は水も拭かずにぴんぴんしてて 寒さと暑さにはとても強い。うらやましいなぁ。 でも高さには私が強いもんね。 どちらか片方がつねに元気でちょうど良かった。 夕方以降は、チョコとクッキーを食べて過ごしました。

イースター島。クライマックス。東海岸沿い

ダイビングの午後は車を借りて観光。 車をとって昼ごはんを食べに宿に戻ると、ちょうど 私たちがバイクで行った道を徒歩で、 車で行く予定の道をチャリで行った 同じ宿に泊まる上腕二等筋の立派なこうださんが、 1番ハードな東海岸のルートをチャリで行くのを 挫折して帰ってきた所だったので、誘って一緒に 行くことにした。 東海岸沿いには、倒れたモアイを日本人と現地の人が 共同で起こしたという15頭のモアイ(アフ・トンガリキ)や、 モアイは同じ山から切り出されるんですが、 その切り出し場(ラノ・ララク)や、神秘のパワーがもらえる という丸い石(テ・ピト・クラ)やビーチ(アナケナビーチ)や、 いろいろなものが見られます。 アフトンガリキ ラノ・ララク テ・ピト・クラで力をもらおうと必死のおじょうさん。 アフ・アキビ。 モアイ、モアイ、モアイ。 野良牛、野良馬いっぱいいます。 この景色みてmixiアプリのサンシャイン牧場を思い出してしまった。。。 東海岸沿いルートを攻めたあと、欲を出して内陸部の ルートも攻めて。と堪能して、西側の荒野を進んでいるとき 徒歩のカップルを見つけて、ここで歩きはちょっとおかしいな。と 車を止めて声をかけてみたら足を捜しているようなので、 乗せてあげました。リトアニア(女)とドイツ(男)の カップルは 「サムラ~イ。サムラ~イ。」 と言って乗り込んできました。 女の子はかわいい子だったせいか、運転中の夫は 坂道でエンストして、その後5連続くらいエンスト していました。

イースター島でダイビング

待ちに待ったイースター島でのダイビングの日。 本来サマータイムが終わってるはずのこの時期 地震の都合で終わらないので、8時はまだ薄暗い くらいです。 その薄暗い8時に起きて、あれやこれやと 支度をして出かけて歩き出したら雨が降ってきた。 かさもかっぱも持ってきてるけど、ひきかえ したら遅れちゃうので前進すると、どんどん ひどくなる。 イースター島の最近の雨の降り方はいつもこんなんで ぽつぽつ、ざざざざさーーー。ぱっ。 という感じです。 ダイブショップにつくころはちょうどざざざざーに なってしまってけっこう濡れてしまった。 ついて話を聞くと、9時半からのダイブは予約したうち 私1人しかきておらず、電話にも出ないので、 次の11時のダイブに参加ということになった。 11時になるころには晴れてきて暖かくなってきた。 ライセンスをとった時のグレートバリアリーフは これよりもっと荒れてたのでぜんぜんOK。 水面は多少波があっても海中は穏やかなのだ。 もぐってみると、透明度が高く、40mは見えていたと思う。 もぐっても海底から、潜行ラインがはっきりと見えた。 珊瑚はでかくてがっしりしてて、骨太。 魚の数はすくなかった。(当社比) おっきなうにがいっぱいいて。食べたいなと思った。 ふぐみたいな丸っこいんだけど、ちょっと固めの 魚を触らせてもらった。 ガイドのおっちゃんは、それを珊瑚の間にはさんで 身動きがとれないようにして遊んでた。 でもぶるぶるっと身を震わせて脱出していた。 それからガイドのおっちゃんが、ドルフィンキックで 進んでいるのをみてジムでもっと練習すればよかったと思った。 ためしにやってみたらバランスが取れなかった。 というのも潮の流れがちょっとあって、うまいこと 進めないときがあるのだ。 ちょっと進むとモアイが現れた! あらかじめレプリカと分かっているのだけど、 藻が生えていてそれなりに年季が感じられて、 レプリカなんだけど、レプリカなんだけど、 感動っ。 並んで写真を撮ってもらった。 一緒にもぐった人が動画でとってくれていて、 動画もあります。↓ その人はLumixを持っていたんだけど、十分画質も 良く、Lumixにしよっかなーと思うようになりました。 どうかな。でも水中モードのあるやつのがいいかな。 でも動画は熱いですよね。

イースター島でバイク

朝、みんなと市場へ。 小さな市場。 小さめのマグロを購入。 7000チリペソ。 今夜はマグロアボガド丼をするのだ。 マグロを冷蔵庫に入れて、 今日本土に戻るサーファーのカヨさんを見送って、 ダイビングとレンタカーの予約に行った。 今日はサーファーが大喜びするような大波で カヨさんは帰るのを嫌がっていたが、 今日のダイビングは波のせいでできないらしい。 ダイブショップへ行くとひっそりとしていた。 その後昼ごはんを食べに、地球の歩き方に紹介されていた エンパナーダというチリのパイを食べに エスパナーダス・ティア・ベルタに行きました。 それがとてもうまーい。のです。 世界一周開始してからNo1! ちょっと村を歩いてみたものの、歩きでの観光は きついということが分かってきて、車のレンタルを 予約したところでさらにバイクを半日レンタルして 早速走ってみました。 バイクは楽しい。 風を切るし、視界が広いし、小回り聞くし。 タイのスコータイでもバイクで遺跡を回りましたが、 楽しいです。 遠出は車レンタルの日にとっておいて今日は ハンガ・ロア村から程近い、アナ・カイ・タンガタ(食人洞窟)、 ラノ・カウ(火口湖)、オロンゴの儀式村跡地、アフ・ビナプ、 を見てきました。 アナ・カイ・タンガタ(食人洞窟) ラノ・カウ(火口湖) オロンゴの儀式村跡地 アフ・ビナプ

バルパライソに日帰りで行ってきました

サンティアゴに6泊するのは、 イースター島へのフライトを待つためです。 地震の影響で、取り直しているので、 空き時間ができてしまいました。 日本食も食べることができたので、 ちょっと足を伸ばして、バルパライソというところに 行ってきました。 サンティアゴからバスで2時間海の方に向かって走ると、 ビーニャ・デル・マルとバルパライソという隣り合った街があり、 ビーニャの方は高級。バルパライソの方は庶民の行くところ。 とあるので、庶民側に。 バルパライソについてまず思ったのは、寒い! まわりを見るとみんな長袖。 海岸沿いは気候が違うのか、今日いきなり寒くなった のかわからない。 寒いと体力を奪われるので、上着を買うことにした。 すぐに大きなデーパートが見つかって、購入。 夫は寒いのが得意で、半そでのままでよいらしい。 冬でも家の中で半そでで過ごしているだけはある。 バルパライソの町並みは世界遺産に登録されている。 山の斜面に面した色とりどりの壁や屋根が特徴です。 またラパスのようにとにかく果てしなく家が斜面に ずらっと並んでいる。ギリシャの町もこんな感じに 斜面に並んでいたけど、桁が違うなぁ。 意地さえ感じる量です。 ギリシャのちょろっとしたやつのほうが好きだけど。 ここには海軍があるので、写真を撮るとカメラを取り 上げられることもあるらしい。 サンティアゴで写真を撮っては鞄にしまう癖が ついたけど、写真を撮ってる間にも「気をつけろ!」 と2度も注意された。 細い路地には悪そうな若者が集団でたまってて、 ちょっと治安が悪い気がした。 アセソールという急斜面を上るケーブルというか 急すぎて、もはやエレベーターと呼んでよいのでは ないかと感じる乗り物にのって丘に登ると眺めが 良かった。 ここはどこだろうねー。と位置確認のため地図を 広げていたらどこにいくのと声をかけられて、 じゃあカフェにと、教えてもらったカフェで コーヒーとケーキを頼んだ。 運よく南米に来て初の挽いた豆でいれたコーヒーは おいしかった。南米にきたらどこでコーヒー飲んでも うまいはずと思っていたんだけど、実はみんな インスタントコーヒーなんす。ネスカフェ。 粉入れて、お湯入れて。がっくし。 寒さ暑さに弱い私は、朝の寒さにやられたのか、 体力の限界がすぐに来て、街を一周がやっとで した。